2014年7月30日水曜日
法律の抑止力は、どこまで必要か?
世の中で何かが起こると、法律で規制せよという声が響きわたる。
それは、政治の仕事でもありますが、何でもかんでも法律で、
しかもいったん作ると厳罰化してゆくものです。
交通関係などは、まさしくそうなのです。
あと何年もすれば、自転車にナンバーが付き、利用するにも免許が
必要になるでしょう。
自転車に免許・・・
あなたは、どう思いますか?
でもね、これが現実です。しかも、近い将来のね。
そこで思うのは、いったい法律の抑止力って、どれぐらいの人の割合
まで有効なのでしょうか?
対象となる人の、何%のに抑止力として働けば良いのか?
そんなことを考えることが多くなりました。
飲酒運転の厳罰化を観てみると、よくわかります。
世論っぽい声に背中を押されて、どんどん厳罰化しています。
まともな方は、既に飲酒運転などしないでしょう。
今、飲酒運転をする方は、確信犯でしょうし罪悪感が欠けている人
でしょうか?
今以上に厳罰化していっても、飲酒運転が無くなるとは思えないし、
減っても行かないでしょう。つまり抑止力としての効力は、既に限界に
達しているように思います。
でも一方で、人はミスをする生き物だという現実があります。
飲酒運転をミスだとする事が出来るかがキーですが、でもあり得る
ことです。あなたもあるのです。可能性とはそういうものでしょう。
そんなときに、厳罰化された法律の元で判断されることは、良いこと
でしょうか?
裁判官に任せれば良いのだ。
という、意見もあります。
本当にそうでしょうか?裁判官も、人間なのです。
過失による裁判は、厳罰化された法律の元でやらない方が良い・・・
そう思っています。
そこが社会のコストではないのでしょうか?
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