プロフィール


野呂 康之   (のろ やすゆき)

通称:ゆっきぃ~

る気Melpist Coach


危険体験型安全運転講習会のインストラクターという珍しい
職業につき、以後22年間で30,000人を超える人材育成実績を
持つ、職場のやる気を育て企業を元気にする、
る気Melpist Coach。

運転は知的コミュニケーションをキーワードに、人間関係構築の
ヒントを伝えて、良好な人間関係を保つことが安全に繋がると
信じている。

よくO型に間違われるが、純粋なA型で最後まであきらめずにコツコツ
取組むタイプだが、いつも笑顔でにこやかにふるまう秀吉型人間。

関わった人すべてが、それぞれの立場で評価されることが心からの愉しみで
お願いである。


 1959年 
     三重県津市に生まれる。


 1985年
     日本大学大学院 理工学研究科 機械工学専攻 修了
     学生時代は、二輪車の運動解析に夢中で、研究バカに徹する。

  

1985年
  株式会社モビリティランドに入社
                  

 22年間の在職中、一貫して交通教育にたずさわり3万人
     以上の人財育成に取り組んできた。 特に組織での現場と
     管理の、人間的な係り合いが、安全には大切と力を入れて
     きた。
     《安全一筋》22年~主に安全確保のための指導・研修にて

   20076月 起業
   2011222
 株式会社 山太一舎 設立 代表取締役となる。

その経験を生かし、

     「交通弱者に優しいドライバー社会の創出」

     を目標にコーチング等の心理学的分野と、多くの実技体験
     指導のノウハウを融合させたメルピストコーチングで、一緒に
     汗を流すメンター活動に力を入れて活躍している。

     主張は、運転は知的コミュニケーション!
             
     このために必要なのが思考力を鍛えること。
     コーチ兼キャリアコンサルタントとして、その経験を生かして
     充実した活動を行っている。
             
             最近、安全は家庭の安心から!と確信し、家庭の安定の
     ためのコミュニケーションを中心としたコミュニティーを立上げ
     活動中!カルチャースクールでのセミナー活動をはじめ、人間
     関係の土台作りに力を入れる。

     また、同じく土台作りに、高校生の就職指導にも取り掛かり、
     社会の安定した人間関係作りに取り組んでいる。

     企業研修は、ソフトバンク新入社員研修・九州電力・東芝・
     旭化成など、数多くの企業研修を担当している。

業界誌を中心に、多数執筆活動している。
 《執筆》
 ・全労災保険パンフレット
 ・自動車学校 (社)全日本指定自動車教習所協会連合会
       ・運転管理  モビリティー文化出版(株)  等

る気Melpist Coach活動に効果的な、以下の資格を
取得し活動中!人間関係は、相手への配慮が基本。
そんな、不思議なところに魅せられ、日々活動中!


    ・キャリアコンサルティング技能士2級 (国家資格)
            ・キャリアコンサルタント(国家資格)
       ・ICDS委員会認定キャリア・コンサルタント(民間資格)
    ・銀座コーチングスクール認定プロフェッショナルコーチ  
    ・NLP認定プラクティショナー
    ・ソース認定ベーシックトレーナー

    ・TQMベーシックコースインストラクタ
    ・WPLワークショップファシリテーター 
    ・(一社)日本写真講師協会 認定フォトインストラクター
    ・運行管理者資格 (旅客・貨物)
    ・届出教習所指導員 二輪車・普通車過程
    ・警察庁方式K-II型運転適性検査指導員

猫・写真撮影・美味しい蕎麦に夢中!


Webサイト等》
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       山太一舎
      パワハラ退職防止請負人 野呂康之
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 今日の安全を確保し安心を育てる方法

【 私の原点 】

私の原点を考えてみました。
つまり、私がこの仕事をしている理由です。
私の人となりでも見えてくるなら嬉しいなぁ~と思い振り返ってみます。

①引っ越しばかりで、友達も居ないいじめられっこの幼少期。
②研究バカとなって、夢中で取り組んだ大学生時代。
③夢破れ入った会社でしたが、やっていて観ると面白いと思える部分が…
④これが上手く行かない。失敗の連続・・・
  だから、やり残したことが沢山!
  だからやめられない。逃げるのは大嫌い!
  

まとめてしまうとこんな感じです。
では、物語スタート!

☆友達がいない

高校に入るまで、私にはまったく友達がいませんでした。
その理由は、引っ越しばかりして3年以上定住するところが無かったため。

こんな話をすると、そんなのはおかしい!と言われることがあります。
引っ越ししたから友達がいなかったなんておかしい!と言われるのです。

大人の世界ではそうでしょうね。
しかし子供の世界は、そんな常識は通用しません。

引っ越しばかりしていると、子供の心って卑屈になってくるのですよ。
卑屈というと言いすぎかなぁ~ 繊細な子供の心を守りに入ると言った方が
良いかな?

ここで友達作っても、すぐ別れるからなぁ~
折角親しくなっても別れるのは辛いし耐えられない。。。

物心付いたときから、引っ越しばかりしていると、自然なそんな思いで
人間関係を遠ざけてしまうのです。

そして、一人寂しく遊ぶ子が、出来上がります。

すると今も昔も変わらず起こることが、いじめです。
もともと性格的にのんびり屋の私は、自分の身の回りで起こることが、
いじめだということに気付かず、ただただ寂しい思い~一人ぼっち~に
ふけっていました。

これが唯一の救いですね。
その時の私の望みは、

親友が欲しい!

友達が欲しい…親友が欲しい…仲間が欲しい…
今思えば、人に渇望する私を作ったのは、この時期だったと感じて
います。

そんな幼少期を過ごした私です。

話は飛んで大学生になった私です。

☆夢中になれるものを見つけた!

理工系の私は、オートバイの運動特性を解析するのに夢中になっていました。
大学から大学院まで進み、研究という魔物に憑りつかれていたのです。

研究に住む魔物・・・

なぜ?わからん?どうなっているの?という、疑問を解決しなければ気が済ま
ないという魔物。これに憑りつかれた6年間でした。

仮説を立て実験して結果を検証して、再び実験・・・こんな風に、理論構築の
ために繰り返す日々を過ごしていたのです。
下宿と学校を往復する毎日!概ね、まじめすぎる学生だったんです。

大学生というと、バイトに部活に都会生活をエンジョイ!なんて聞こえてきますが、
そんなことはまったくなく研究に没頭していた大学生後半でした。

夢中になれる私を、観つけた瞬間です。
自分もできることあるんやなぁ~と認識して、自分に自信を持った時期でした。

基本的に今でも変わりません。

夢中になっていた大学時代もいよいよ就職です。
私にはなりたくない職業があり、それは教師でした。

理由は簡単です。
人前で話すなんてとんでもない!苦手で嫌で嫌でしょうがない仕事が
人前で話す仕事、つまり教師という仕事でした。

☆教師と警察官だけにはなりたくなかった!


人前になんて立てない!

そんな私が、就職の年になり恩師から勧められたのが、前職の職場です。
当時の理工系学生は、基本的に就職活動しないのです。

良い時代でした。

だから、私も恩師におんぶにだっこ状態。
なんせ修士論文書くのに必死で、就職活動どころではなかったのです。

そして入った会社が、当時の(株)ホンダランドでした。

ホンダ系の会社で、レース場・遊園地運営の会社です。
ホンダの製品を楽しむ場所であり、将来のホンダファンを育てるという
使命を持った企業です。

そこの、交通教育センターという部署に、配属されました。
交通事故を起こさないドライバー・ライダーの育成機関です。
免許を持っている人を対象に、安全運転を普及するインストラクターという
職種です。企業研修の先生です。

なんと、
なりたくもない先生という職種になっている自分に、
愕然とし運命を呪ったものでした。

指導員とかインストラクターと呼ばれていましたが、これは先生やんけ!
まさしく、地獄の底にたどり着いた気分を味わったものです。

それから、嫌で嫌で・・・ 入社3年間は地獄でした。
なんで、こんなことしているんだろう?

トータル10年間は、苦しんでいたと思います。

しかしおかしなもので、人は学び気づくわけです。

嫌がっていた先生という仕事も、出来ることが増えてくると生徒の観る目も変わって
きます。意外なことに誉められたりもするのです。

へぇ~誉めてもらった。。。

根が単純なものですから、素直に心に入っていきます。
嬉しいものです。いつの間にか、先生は嫌だという感覚が薄くなっていく自分に、
気づいてニヤニヤする場面が出てきました。

さらに、自分で研修を仕切る立場になると、工夫するということに楽しみを
感じるようになっているのです。伝え方の工夫や見せ方の工夫をして、
実際の効果を観察するようになるのです。

まるで、研究のようなものです。

教師のような仕事にも、こんな面白い部分があるんだ!
そんな気付きが、自分を駆り立てるようになるんですね。

中堅の域に入ってくると、役付の可能性が出てきます。
と同時に異動の可能性も出てきます。

係長・課長と昇進し営業へと異動する中で、視点が広がって行くのを感じることで、
益々面白い点に気付くわけです。

そして、人の役に立っている自分の仕事の意味を知ることになります。
つまり、自分のやっている仕事の意義に納得することで、自分の将来を掛けて
みようとする土台がみえてきたと言えるのでしょう。

意外と良いことしているんだ!

ということを、この仕事をし始めて10年経過したあたりから感じ始めます。
そんなことを一度でも感じると、随分仕事も楽しくなるんですね。

意義を感じると、人は仕事で工夫をするようになる。

まさしくその通りになり、益々面白くなってゆきます。
現場のインストラクターという立場から、営業マネージャー、コンサルタントなどを
経験すると、外から見た職場の位置づけが明確になってきます。すると、結構役に
立っているんだね。という実感が湧いてくるんです。

嬉しい瞬間でした。

人に認めてもらえる仕事って良いじゃん!

そんな思いが、私に益々仕事にのめりこむ要因を作ったと言えますね。
しかし、なんでもそう上手くはいきません。

上手く行かない一つが、社内での評価の低さ

意義のあることを行うことと、企業活動とは別のものなんですね。
部門として赤字ではないのです。

と言っても、物凄い利益を出しているわけでもありません。
ぼちぼちなんです。

すると、新しいことをするのがとても厳しくなるんです。
お金を掛けることが、とてもリスキーと感じられるのでしょう。
ビジネスとして、やりずらい環境が出来上がってくるんです。
当時は、ストレスたまって厳しかった。。。

上手く行かないもう一つが、クライアントから死亡事故が発生することです。

どうしても、研修を請け負っているだけでは、事故なんて減らないものです。
そこで、社内でクライアント企業と一緒になって、事故減らしに取組むという
取組を提案し始めたのです。研修を請け負うだけの付き合いから、相談や
現場でのアドバイスまでやりますと言い出したのです。

一緒に事故減らしに取組みたいと・・・

これは大きなリスクを背負うことになります。
当時社内では、良いことだと理解される反面、あまり深入りしないでねと思わ
れていたようです。

でも当時は、面白くてしょうがない時でした。だから、私も夢中で仕事していま
したね。不思議なものです。あれほど、嫌っていた仕事が楽しくなるのですか
ら!

人って変われるものだ!成長できるものだ!と認識した瞬間でした。

☆完成がなくいつも学びの連続

そして、もっと自由に突っ込んで仕事がしたい。
クライアントと、一体になって取り組みたいと思う心が抑えきれなくなって
独立し起業しました。

それが今の仕事です。

人と関わる仕事に完成はありません。
どこまで行っても、失敗・成果・失敗・成果の繰り返し
少しずつ精度を高めてゆくしかありませんが、
この辺りは、学生時代に戻ったようで楽しいのです。

そして、自分の周りにたくさんの人がいて、仕事をする仲間がいて、
頼ってくれるファンの様なクライアントがいてくれることが、昔の願望!

親友が欲しい!

これを叶えてくれることだと感じているのです。
だから、この仕事をやっていられる。

私はそう考えています。



2016.10.06 更新