2016年9月3日土曜日

機材の進歩=人の退化

本当にそう思うことが多い。

私自身もそのことには痛感していて、不要な機材の進歩は
拒否しながら必要なところを取り入れることにしている。

写真教室を開いていると書いたのを、覚えてくれている
でしょうか?その生徒さんの写真や撮っている様子を観察
していると、この人達はフィルム時代に戻ったら、どれだけ
の人が同じ写真を撮れるのだろうか?

って考えちゃうんですね。

それだけ今のデジタル技術の上に乗っかって写真を楽しん
でいる様子が、伝わってくるのですよ。

露出・ピント・構図・手ぶれ・シャッターチャンス・色等、
かなりの部分をカメラが勝手に行っている。そこに乗っかって
写真を撮っているというのが現状。

別にそれ悪いわけではなく、技術の進歩は多くの人に写真を
撮るという楽しみを提供しているわけで、そういう意味で大賛成
です。将来的には、ビデオとカメラは区別なく一体化していく
ことは明白で、もしかしたらカメラという機能は無くなりビデオ
として発達し、静止画は動画の一部となるでしょう。

便利になるのです。
でもそれは、人の退化の流れの中での一部分です。
便利になって欲しいけど、退化は嫌だと思う。

昔でいうところのワープロが出てきてから、漢字を知らない
忘れてしまった人が増えました。これも退化の一部分。

カーナビが普及して、地図の読めない人が普通になったり、
自分の居場所判断が出来ない人が増えた。

こんなことは、これからもどんどん発生する。

ITの進化で、いわゆるロボットが一般的になると、今度は
どんな退化が生まれるのだろうか?怖い気がします。



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