私の原点

私の原点を考えてみました。
つまり、私がこの仕事をしている理由です。
私の人となりでも見えてくるなら嬉しいなぁ~と思い振り返ってみます。

①引っ越しばかりで、友達も居ないいじめられっこの幼少期。
②研究バカとなって、夢中で取り組んだ大学生時代。
③夢破れ入った会社でしたが、やっていて観ると面白いと思える部分が…
④これが上手く行かない。失敗の連続・・・
  だから、やり残したことが沢山!
  だからやめられない。逃げるのは大嫌い!
  

まとめてしまうとこんな感じです。
では、物語スタート!

☆友達がいない

高校に入るまで、私にはまったく友達がいませんでした。
その理由は、引っ越しばかりして3年以上定住するところが無かったため。

こんな話をすると、そんなのはおかしい!と言われることがあります。
引っ越ししたから友達がいなかったなんておかしい!と言われるのです。

大人の世界ではそうでしょうね。
しかし子供の世界は、そんな常識は通用しません。

引っ越しばかりしていると、子供の心って卑屈になってくるのですよ。
卑屈というと言いすぎかなぁ~ 繊細な子供の心を守りに入ると言った方が
良いかな?

ここで友達作っても、すぐ別れるからなぁ~
折角親しくなっても別れるのは辛いし耐えられない。。。

物心付いたときから、引っ越しばかりしていると、自然なそんな思いで
人間関係を遠ざけてしまうのです。

そして、一人寂しく遊ぶ子が、出来上がります。

すると今も昔も変わらず起こることが、いじめです。
もともと性格的にのんびり屋の私は、自分の身の回りで起こることが、
いじめだということに気付かず、ただただ寂しい思い~一人ぼっち~に
ふけっていました。

これが唯一の救いですね。
その時の私の望みは、

親友が欲しい!

友達が欲しい…親友が欲しい…仲間が欲しい…
今思えば、人に渇望する私を作ったのは、この時期だったと感じて
います。

そんな幼少期を過ごした私です。

話は飛んで大学生になった私です。

☆夢中になれるものを見つけた!

理工系の私は、オートバイの運動特性を解析するのに夢中になっていました。
大学から大学院まで進み、研究という魔物に憑りつかれていたのです。

研究に住む魔物・・・

なぜ?わからん?どうなっているの?という、疑問を解決しなければ気が済ま
ないという魔物。これに憑りつかれた6年間でした。

仮説を立て実験して結果を検証して、再び実験・・・こんな風に、理論構築の
ために繰り返す日々を過ごしていたのです。
下宿と学校を往復する毎日!概ね、まじめすぎる学生だったんです。

大学生というと、バイトに部活に都会生活をエンジョイ!なんて聞こえてきますが、
そんなことはまったくなく研究に没頭していた大学生後半でした。

夢中になれる私を、観つけた瞬間です。
自分もできることあるんやなぁ~と認識して、自分に自信を持った時期でした。

基本的に今でも変わりません。

夢中になっていた大学時代もいよいよ就職です。
私にはなりたくない職業があり、それは教師でした。

理由は簡単です。
人前で話すなんてとんでもない!苦手で嫌で嫌でしょうがない仕事が
人前で話す仕事、つまり教師という仕事でした。

☆教師と警察官だけにはなりたくなかった!


人前になんて立てない!

そんな私が、就職の年になり恩師から勧められたのが、前職の職場です。
当時の理工系学生は、基本的に就職活動しないのです。

良い時代でした。

だから、私も恩師におんぶにだっこ状態。
なんせ修士論文書くのに必死で、就職活動どころではなかったのです。

そして入った会社が、当時の(株)ホンダランドでした。

ホンダ系の会社で、レース場・遊園地運営の会社です。
ホンダの製品を楽しむ場所であり、将来のホンダファンを育てるという
使命を持った企業です。

そこの、交通教育センターという部署に、配属されました。
交通事故を起こさないドライバー・ライダーの育成機関です。
免許を持っている人を対象に、安全運転を普及するインストラクターという
職種です。企業研修の先生です。

なんと、
なりたくもない先生という職種になっている自分に、
愕然とし運命を呪ったものでした。

指導員とかインストラクターと呼ばれていましたが、これは先生やんけ!
まさしく、地獄の底にたどり着いた気分を味わったものです。

それから、嫌で嫌で・・・ 入社3年間は地獄でした。
なんで、こんなことしているんだろう?

トータル10年間は、苦しんでいたと思います。

しかしおかしなもので、人は学び気づくわけです。

嫌がっていた先生という仕事も、出来ることが増えてくると生徒の観る目も変わって
きます。意外なことに誉められたりもするのです。

へぇ~誉めてもらった。。。

根が単純なものですから、素直に心に入っていきます。
嬉しいものです。いつの間にか、先生は嫌だという感覚が薄くなっていく自分に、
気づいてニヤニヤする場面が出てきました。

さらに、自分で研修を仕切る立場になると、工夫するということに楽しみを
感じるようになっているのです。伝え方の工夫や見せ方の工夫をして、
実際の効果を観察するようになるのです。

まるで、研究のようなものです。

教師のような仕事にも、こんな面白い部分があるんだ!
そんな気付きが、自分を駆り立てるようになるんですね。

中堅の域に入ってくると、役付の可能性が出てきます。
と同時に異動の可能性も出てきます。

係長・課長と昇進し営業へと異動する中で、視点が広がって行くのを感じることで、
益々面白い点に気付くわけです。

そして、人の役に立っている自分の仕事の意味を知ることになります。
つまり、自分のやっている仕事の意義に納得することで、自分の将来を掛けて
みようとする土台がみえてきたと言えるのでしょう。

意外と良いことしているんだ!

ということを、この仕事をし始めて10年経過したあたりから感じ始めます。
そんなことを一度でも感じると、随分仕事も楽しくなるんですね。

意義を感じると、人は仕事で工夫をするようになる。

まさしくその通りになり、益々面白くなってゆきます。
現場のインストラクターという立場から、営業マネージャー、コンサルタントなどを
経験すると、外から見た職場の位置づけが明確になってきます。すると、結構役に
立っているんだね。という実感が湧いてくるんです。

嬉しい瞬間でした。

人に認めてもらえる仕事って良いじゃん!

そんな思いが、私に益々仕事にのめりこむ要因を作ったと言えますね。
しかし、なんでもそう上手くはいきません。

上手く行かない一つが、社内での評価の低さ

意義のあることを行うことと、企業活動とは別のものなんですね。
部門として赤字ではないのです。

と言っても、物凄い利益を出しているわけでもありません。
ぼちぼちなんです。

すると、新しいことをするのがとても厳しくなるんです。
お金を掛けることが、とてもリスキーと感じられるのでしょう。
ビジネスとして、やりずらい環境が出来上がってくるんです。
当時は、ストレスたまって厳しかった。。。

上手く行かないもう一つが、クライアントから死亡事故が発生することです。

どうしても、研修を請け負っているだけでは、事故なんて減らないものです。
そこで、社内でクライアント企業と一緒になって、事故減らしに取組むという
取組を提案し始めたのです。研修を請け負うだけの付き合いから、相談や
現場でのアドバイスまでやりますと言い出したのです。

一緒に事故減らしに取組みたいと・・・

これは大きなリスクを背負うことになります。
当時社内では、良いことだと理解される反面、あまり深入りしないでねと思わ
れていたようです。

でも当時は、面白くてしょうがない時でした。だから、私も夢中で仕事していま
したね。不思議なものです。あれほど、嫌っていた仕事が楽しくなるのですか
ら!

人って変われるものだ!成長できるものだ!と認識した瞬間でした。

☆完成がなくいつも学びの連続

そして、もっと自由に突っ込んで仕事がしたい。
クライアントと、一体になって取り組みたいと思う心が抑えきれなくなって
独立し起業しました。

それが今の仕事です。

人と関わる仕事に完成はありません。
どこまで行っても、失敗・成果・失敗・成果の繰り返し
少しずつ精度を高めてゆくしかありませんが、
この辺りは、学生時代に戻ったようで楽しいのです。

そして、自分の周りにたくさんの人がいて、仕事をする仲間がいて、
頼ってくれるファンの様なクライアントがいてくれることが、昔の願望!

親友が欲しい!

これを叶えてくれることだと感じているのです。
だから、この仕事をやっていられる。

私はそう考えています。