2014年11月11日火曜日

究極の理由

色々なものに参加することが多い。

特に、定期的に参加することが必要になるものの場合、
なぜそこに参加するのかは重要なポイントかも判らない。

例えば、〇〇団体とか〇〇会とかいう奴だ。

私も、学会系も含めるといくつかに参加しているのだが、
100%出席は結構ハードルの高い目標なのだ。

例えば、坐禅会。
津の四天王寺で行われている朝一の坐禅会なのだが、
ここ数か月参加できていない。
だから、ちょっと寂しい気分になっているところもある。

理由は、単純で時間的な制約だ。

会にフル参加すると、2時間のメニューになる。
坐禅・清掃・茶会・近況報告と進むのだが、
結構な時間を掛けているのだ。

しかし、これが悪いわけではなく、とても良い時間だと
感じている。だから、基本的に参加したいのだが、時間が
許してくれないと思い込んでいる自分を解き放せないのだ。

で、結局自宅で坐禅会に合わせて、坐禅をしている。

ちょっぴり時間を共有しながら、楽しんでいるのだ。

そこで思うことが有る。
このような会への参加と言うのは、自分の健全さのバロメーター
なのではないかと感じている。

毎回、きちんと参加する。
これが出来る事が、生活のあらゆるバランスが取れている
状況なのかな?

そう思うのです。
生きてゆく上でのバランスを保てているのか?
そんなことを突き付けられているようにも感じている。

0 件のコメント:

コメントを投稿