2013年5月31日金曜日

今日は、リアル?な話で長文です。

認識している範囲が、その人の世界である。


哲学的な表現ですが、なるほどなぁ~と感じるところです。
世界では、様々なことが起こっています。そして、その情報が
飛び交っているわけです。その情報の一つに触れると、認識
することになります。

つまり、情報に触れている範囲が、その人の世界だと言える。

そんな風に考えています。
朝早くから、小難しい話で申し訳ないです。m(__)m

なんでこんな話を書いているかと言うと、自己認識の上で重要
なことだなぁ~と最近痛感したからです。

そこに有ったのに、気づかないことってあるじゃないですか!

例えば、普段良く通っている道沿いに、どんなお店が有るか
あなたは説明できますか?全店舗を説明できますか?

普通の人なら出来ないと思います。
私も無理です。

入ったことのある店は、説明できますよね。
また、入ってみようと考えている店も、説明できますよね。

つまり、その人にとっては、認識している範囲が世界ですから、
ある人にとって、その道とその店が有るだけの通りと言うのが、
その道の風景であり世界なのです。

このように表現すると反論したくなります。

しかし、目にはちゃんと他のお店なんかも写っている!つまり
観えているはずだ!ってね。

そこが面白いことで、見えていると認識しているの違いなのです。
認識して初めて世界になるという事。

物がそこにあるから世界を形成しているのか?
認識が有るから、世界を感じるのか?

ややこしい話です。

この話を考えながら、仕事のことを考えていました。

なぜ、その危険に気づかなかったのか?という疑問です。
注意力不足なんて、普段は片づけられていますが、実は
認識している世界が違うという感覚なのです。

そして、あるであろう全てを認識することは、出来ないのでは
ないか?と思っています。

つまり、今迄危険を認識するために、こおいうのが危険なんだ
と伝えてきたのです。気づきを促すのですが、これって無理では
ないか?と思うようになっています。

自分の認識の範疇から何かを廃棄し、そこに新しい気付きを
入れてゆくことが大切なんだよね。

ここで、ふっと頭に浮かんだのが、自己啓発セミナーとか洗脳
という言葉・・・

それは、かなりやばい世界だわと思いながら、思考を止めた。

人の認識している世界を変えてゆくことが仕事とするなら、
なかなか大変なことを仕掛けているんだという思いを深めた
ところです。

結論出ずの長文、最後までお読みいただきありがとう!





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